諸々,徒然… その九 人の心,キツネの心(2) 
 
このコーナー,なんと前回から一ヶ月も未更新のままでいました(>_<)しかも前回で一区切り付けていたならいざ知らず,途中もいいところで!
6月は図らずも結果的に“絵掲でお絵描き,そいでもって寄稿強化月間”(^^;)になってしまい,今までメインにしてきたコンテンツの新作に手が回らなかったことも事実。にしても,なんぼなんでもこれじゃマズいっすよね〜(大汗)
というわけで,ひと月前の意識に立ち帰るために前回の要点を広告コピー風にまとめてみると,
あの“純情キツネ”の魅力に迫る!
愛くるしい容貌は,“未熟さ”の象徴。
一人の少女に対する一途な想いの奥底にあるものとは…?
と,こんな感じでしょうか?

そうそう,キツネのしのぶに対する真っ直ぐな想いについて,無謀にもとある児童文学作品を引っ張り出してきて語りますなんて,大見得切っちゃったんでしたよね!(←忘れとったんかいっ!?)
ひや〜〜っっ///どうなっちゃうんでしょう,ちゃんと収拾つけられますかね〜…?(おのれが尋ねてどーすんじゃっ!)


しのぶに抱かれたキツネ…天にも昇る気持ち♪さて,香港いや本論に参ります(^^;)が,ここで記すのは,純情キツネとかの児童文学作品に登場するキツネとの比較というか,キツネと人物との関わりを通して見ることのできる,うる星と参照作品における「異種生命との友情・愛情」に関する考察のようなものです。だって,純情キツネの気持ちって「しのぶが好き・もっと仲良くなりたい」に集約されちゃうんだもん!これだけじゃ掘り下げも何もなくて,このコーナーに書く意味ないじゃんっ(汗)
敢えてツッコミを入れるなら,想いはあの仏滅高校総番と同じでも,「器」が違うとここまで感情移入(もしくは贔屓)できるものか…というあたりでしょうか(^_^;)

軽い冗談(案外,核心を突いてたりして…)は置いといて,まずは,先から何度も話題に上げている児童文学作品からご紹介しましょう。恐らく大勢の方が読まれたり耳にしたりと言った経験があると思います。
それは「ごんぎつね」,30代前半の若さでこの世を去った新美南吉の代表作です。ご存じとは思いますが,簡単にあらすじを記しておきましょう。

人里近くに棲むきつねのごんは,ある日,村の若者兵十(ひょうじゅう)が捕っていたうなぎを生来の悪戯好きが高じて逃がしてしまいます。翌日ごんは,兵十の家から葬儀の列が出るのを見て兵十の母親が死んだことを知ります。「おれと同じ,ひとりぼっちの兵十か…」兵十の母親の死は,自分の悪戯が原因だと思ったごんは,罪滅ぼしをしようと決心します。
始めのうちは却って兵十に迷惑をかけることもありましたが,めげずに兵十のもとに野山の幸を届け続けるごん。そのうち,兵十も不思議に思うようになります。が,隣人との会話の中で,気の毒に感じた神様のおかげということにされてしまいます。「わりに合わねぇ」とぼやきながらも,兵十への届け物をやめることはしない,ごん(何とかして兵十に自分のことを気付いて欲しいという,ごんの願いが読み取れます)。
そんなごんが自分の家に入っていくところを見た兵十は,「悪戯ぎつねのごんが,盗人(ぬすっと)に来た!」と火縄銃を手に取り,ごんを撃ってしまいます。が,倒れたごんの傍らに散らばる栗や茸を見つけて,兵十は自分に届け物をしてくれていたのがごんであったことを知ります。「ごん,おまえだったのか…?おれに届け物をしてくれていたのは」こっくり無言で頷くごん。足下に落とした銃の筒先からは,白い煙が細く立ち上ります。ごんの命が消えゆくことを暗示するかのように…

冗談や冷やかし抜きで,私,この作品を読むと涙を堪えるのが大変なんです(いい歳こいたオッサンが何を…なんて思わないでくださいね ^^;)。死という代償をもってしなければ想いを伝えることができないなんて,小学校3,4年生向けの作品とは到底思えないテーマの重み!人の世の無情そのものですよ,これは!

そして,きつねと人間の交流を描いた新美南吉作品がもう一つあります。「手袋を買いに」というタイトルで,初めて雪を見た坊やきつね(今まで人間を見た経験もない)が,積もった新雪で霜焼けにならないように人間の帽子屋さんから手袋を買って帰るお話です。
野山に積もった雪景色や静かに迫る夜の見事な描写,母さんぎつねの愛情の深さ,親切な帽子屋さん(何せ,子ぎつねが手袋を買いに来ても普通に売ってあげた!)や人の母子の会話から人に対するプラスイメージを膨らませる子ぎつねの心情が,じんわりと伝わってきます。
このお話の中で,母さんぎつねは,若い頃友達とともに人里に降りて命からがら逃げてきた経験から「人間は恐い」というトラウマを負っています(そのせいで,帽子屋さんに坊やを連れて行くことができず,やむなく坊や一人(1匹)で買いに行かせたのですが…)。
物語の終わり,「人間って,ちっともこわくないや」と言う坊やと一緒に帰りながら,母さんぎつねが呟きます。「人間って本当にいいものかしら,人間って本当にいいものかしら…」まだ,世間ズレしていない子ぎつねと,無事に還ってきた坊やの姿と話からでも人間不信が払拭しきれない母ぎつね。この母子の姿や会話から,人間の存在について考えさせられる佳作です。

余談ながら,この子ぎつねのイメージ,私の中では純情キツネとぴったり合致するのです。愛くるしい容貌や態度は勿論,母さんぎつねと会話しているところでは,菅谷政子さんの声が頭の中で聞こえてくるし(←末期症状;;)
 

話が純情キツネに戻ってきました(^^;)新見作品のきつねたち,お伽話の悪役ギツネとは違っていますが,人間との“距離(それも心理的,精神的な)”が 存在しています。
では,純情キツネの場合はどうでしょうか

しのぶに何度も会っているし,想いは伝わっている…と思いますよね?が,伝わっていても届いているのでしょうか?
キツネのしのぶに対する想いは“恋慕”です。しのぶには“ガールフレンド”でなく”伴侶”,種に関係なく添い遂げる相手になって欲しいのです。対して,しのぶは…?もう,お判りでしょう。キツネを愛すべき“種を越えた友だち”と思ってはいても,所謂“男女の関係”を考える相手としては髪の毛の先も見ていませんよね。むしろ,“お姉さん”のように保護者モードが強かったりするし(うぅっ,キツネが切ないよ〜っ… T_T)。
このあたり,原作「月夜のキツネたち」や「キツネの嫁取り」でのしのぶの言葉や態度に十分表れていると思います。
もっとも,これはしのぶがキツネの想いを判っていた上で踏み込んでいないというのではないでしょう。彼女には因幡クンという大きな存在があります(キツネと出逢った頃は別として)。両天秤にかける以前の段階で,しのぶはキツネに対して,彼女としての“大人の態度”で接していると見た方が自然だし,しのぶのキャラに合っていると思うんですが。
とは言え,しのぶは,私にとってうる星に登場する女性の中である意味一番とらえにくい,判っていないキャラなんですけれど…(汗)


化け談義白熱中の二人(二匹?)こうやって見ていくと,新見作品と同様とまでは言えなくても,純情キツネの場合もどうしても越えられないものがあることを感じることができます。

それは,高橋先生ご自身も,別のエピソードでそれとなく読者に感じ取らせるように描かれていることに気付かされます。

原作で,キツネがメインを取ったものとしては最後となった「秘湯を求めて」。この話には,純情キツネとともに,彼のケガを治すために動物専用温泉を薦めた老婆キツネが登場します。このばーさん,あたるたちを騙すのに盗んだ地元農協(笑)のアルバムを使ったり,体の一部だけをキツネに戻すことができたりと,そりゃ〜もう“老獪(ろうかい)”を絵に描いたような強者ですよね!
その老ギツネが,動物温泉からあたるたちを退散させたあと,純情キツネに向かって笑いながら語りかけます。「人を化かした後の湯は格別じゃろ?」と…。この言葉に,地球人とトンでもない化け物のような宇宙人とを対等に扱っているうる星でさえ,人と動物の間には,一筋縄ではいかない“溝”のような存在があることを感じてしまうのです。

しかし,この場面同時に“希望”を感じさせてくれる終わり方を高橋先生は見せてくださってます。

「別に…。」純情キツネが,老婆の野太い声(縁取りの「こん」)に対して,か細い声(小さく「こん」)ながら憮然とした表情で答えた言葉です。「ぼくは,人を欺くのは嫌いだ…」そんな彼の信念を感じられると思いませんか…?例え,越えられない一線があっても,自分のポリシーは曲げないぞ!んー,漢(おとこ)を見せてくれるじゃあ〜りませんか♪ ←チャーリー浜かい…

 

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