諸々,徒然… その壱拾五 “ファースト・インパクト”の刻印 何やらエヴァめいたタイトルですが(笑),出逢っての第一印象が強烈だったという意味合いに捉えてください。^^ 今回取り上げるのは,管理人がうる星と出逢った頃に「これ,メチャクチャ面白い〜ッ(>▽<)」と強烈に印象付けられた作品。書こうと思った直接の動機は,るみけ6後のお茶会でのこと。某管理人様の「最初に知った作品て,(影響が)後々まで引くところがありますよね〜。二次創作にもしっかりとその影を落とすし」という言葉でした。 言われてみるまで意識することはなかったのですが,「確かに」と思うことしきりでした。“あの時・あの作品”のインパクトがなければ,今に至るうる星好きも二次創作も間違いなくなかったはずですから。 そこで,今の自分がうる星でやっている二次創作のルーツになると考えられる作品から一つ選んで,その作品を振り返りつつ拙作中でのキャラの捉え方の“肥やし”となったものを,理屈こいてみたいと思ったわけです(^^)。 当然(?),スポットはあたるに当たることになるので,「諸星あたるに関する一考察・その2」的な色が俄然濃くなることは予めお覚悟ください(笑)。 で,やっとこさ本題に(前置きが長いのは,このコーナー…いや当管理人の悪いクセの一つ:汗)。 友人に見せてもらった原作本。それが私のうる星初体験だった(確か7巻あたりまでまとめて読んだような…)のですが,その中でも一際強烈な作品が「美しい旅立ち」(SSC第4巻)でした。 そう,あの大食いイモ虫(実は蝶の妖精)・イモちゃんが登場した話 「君去りし後」は,あたるスキー&あたラム好きな方には語るだけ「釈迦に説法」なので(笑),「美しい旅立ち」に絞って個人的ルーツ観につなげてみたいと思います。 ストーリーについては説明不要でしょう。イモちゃんの大食いに,2年4組はじめ友引生徒が引っ掻き回されたわけですが,その中でも騒ぎという火に油を注ぐ反応をしたのは終太郎でした(^_^;) 幼児退行現象を起こすわ,背負いの噴霧器使って殺虫剤を撒き散らかすわと,イモちゃんに負けないどころか,「コイツがこんなにしてなかったら,事態はもう少し丸く収まっていたろうに」というまでのお騒がせっぷり(笑)。まぁ,そうだったからこそ,あの頃の“うる星”らしさがほとばしっていたわけで,彼の動きがなかったら,あたるの人並み外れた行動の面白味も引き出されなかったはずです。^^ そのあたる。終太郎とは対照的な位置に立って 自分が手に入れたイモ虫(10円を惜しんでいたあたりが,いかにもあたるらしい…^^;)のせいで騒ぎを引き起こしてしまうことになったり,そのイモ虫をかばったために終太郎や男子連中から執拗に追い回されたり。これらは,ラムから逃げることで起きるドタバタとも異なって,悪魔ベリアルに魂を狙われた時(同巻「魔のランニング」)などと共通する「巻き込まれの典型的なパターン」と言えるでしょう。 ただし,この話では“単なる被害者”で終わっていません。個人的には,あたるらしい格好良さの一つであると考えている「巻き込まれた騒ぎの中にいて,飄々とそれを愉しむような余裕」。 その原点とも言えるものを見て取ることができます☆留美子先生は,その格好良さにギャグという“見事なベール”を身に纏わせた形で,私たち読者の目を楽しませてくれたのです♪ もう,お判りでしょう?必死に逃げている最中であるにも関わらず人体標本模型に入り込むという,あのトンでもない目眩まし ものがものだけに,見た目やってることは「尋常でなく面白おかしい」のですが,見方を変えると「身の安全という点では絶体絶命に近い状況下で,自分自身で面白がるようなことをサラリと,よくもまぁ…」と,呆れることを突き抜けて感心(もはや尊敬?)してしまいます。^^ 最高なのは,脱ぎ方を忘れたと廊下を歩いていて面堂たちと鉢合わせした場面。模型の口が開いているのかどうかというツッコミは置いといて,見事すぎる“べろ〜ん&れろれろ攻撃”(笑)の強烈さには,初めて目に飛び込んで来た時なぞ10分近くただただ笑い転げました/// 逃げているという状況にあっても,自分が標本に入っているという好条件を反射的,かつ最大限に利用する機転の良さには,すっかり脱帽するばかりです(^o^) これだけでも,あたるは「ただの女好き・災いを引き寄せる質」なだけではない!」と思わせるのに十分なところがあります。でも,それ以上に,彼にすればもっと大切な“行動原理=信念に近いもの”が働いていることと,その信念ゆえに,あたるが行動を含めて実にオトコマエなのだということに,最近になって漸く気付いたのです(^^;)。 あたるを追い詰めたクラスメートの野郎たちは問います。「なぜそんな怪物(イモちゃんのこと)をかばう?」。あたるは答えます。普段は見ることがない真剣さ・熱い口調で。 「イモ虫が蝶々になれなかったら,なんのために生まれてきたかわかんねーじゃないかーっ!!」と。 終太郎の「不細工なイモ虫が美しい蝶になってたまるか」にも,真っ向から熱く反論してますよね。 「なるっ!! きっとなるわいっ!!」 うわ,アカン。キーを打ってて,涙が出てきた…。何なんですか,このカッチョ良さは(笑)。 人体標本模型を着込んだままなので,つい見過ごしてしまいますが(面堂に詰め寄った時も,“あの顔”での「ぬっ」が強烈:笑),“仮面の下”はロマンチストでヒューマニズムに溢れている 後者の言葉は,客観的な根拠・後ろ盾になるものはないにも等しいものです。ただ,それを強く強く信じる心から躊躇いも迷いもなく言い切ることが出来る…。子を思う親心そのものな(口悪く言えば親バカなのですが^^;)あたるの気持ち 後に,「最後のデート」であたるが見せてくれた命・想いを持つものへの優しさ…その源流は,ここでイモちゃんに真っ直ぐ注いだ純粋そのものな想いにある気がします。 言葉の真剣さだけでなく,顔付きにも注目! ケガをしたイモちゃんを「保健室で手当てしてもらおう。」とラムに促した時(さり気なく夫婦っぽさ漂うあたりが堪りませんです *^^*)や,羽化したイモちゃんが「パパ・ママのおかげで綺麗な妖精になれた」と言うのを聞いてる時の,涼しささえ感じる男前ぶり(顔立ちなので漢字表記^^)と来たら,「普段の顔の方は,どういうことですかの〜?」と尋ねたくなります(^^;)。 クラマ姫の前で男前ヅラしようとした挙げ句に破滅の音を立てたのは,いったい何だったんだ?(笑) 気持ちがそのまま顔立ちに出ていたんでしょうな〜♪ そこから考えを広げると,例の「えーっ,そうじゃないかっ!?」の時は,あの「忘れるもんかーっ!!」(from 「BMG」)に匹敵する顔付きになっていたかもしれません。
そして,もう一つ忘れちゃいけないことが 妖精になった直後のイモちゃんを見て「イモちゃんがきれいになった…」と呟きながら。 「タフで飄々としていて,まだ守られることを必要としている命には優しくて,自分の信念を曲げない」 繰り返しになりますが,強烈なギャグのオブラートに包まれてはいるものの,中身はあたるの男前さがぎっしり! “刷り込み”から20年以上を経て,今の私はこの話のあたるをこんな風に感じています。 あたるの良さ・真似できそうで出来ないところを見つめる意識を持てるようになったから,今回の文章をこういったまとめ方で書くことが出来た。“あたるの見方”が違っていたなら,このエピソードの捉え方も変わっていた…それは否定しません。 ただ,この話が初めて読んで以来,あたるの人柄を特別真剣に考えていなかった時期にも,ずっと印象深く記憶していたという自分の中の紛れもない事実 そして,そんな彼のヒューマンな部分が,現在描いている拙作未来編の中でのあたるのキャラに大きな影響を及ぼしている事は間違いない!と感じています☆ つまりイモちゃん話は,私にとって現在のうる星二次創作のルーツになるエネルギーを放っているオリジナル作品の一つなのです(^^) 最後に,蛇足かもしれませんが,推論を一つ。 未だに惹き付けられて止まない,あの強烈な人体標本模型ギャグ。そして羽化する前のイモちゃんがロマンの欠片もないほどに(終太郎談+α^^;)大食いだったことに意味を見出すとしたら,普段とは違っていたあたるの真剣さ・熱さの“緩衝剤”であったと同時に,留美子先生自らの照れ隠しだったのかもしれません。読者に向けての“愉快な目眩まし”という形をした |
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