諸々,徒然… 番外編 誕生日に想うこと… 
 
本来,私事に関する文は日記を設けて書くべきなんでしょうね。ですが,何事にも不精者である私,日記を続けるなど3日と保ちません(^^;)よって,ごくたまにではありましょうが,うる星やるーみっくのことを離れた文章を書く場合,このように“諸々,〜”番外編としてアップしたいと想います。ひょっとしたらば,最初で最後の番外編になるかもしれませんが…

5月22日は私のン回目の誕生日でした。さすがに,祝って飲めや歌えの大騒ぎといった年齢はとうの昔に通過しているので,自分のためのパーティとかプレゼントとかいう感覚もすっかり忘れていました。が,職場で何気に「おめでとうございます」と一言かけてもらえた時,照れくさい気持ちもありましたが,嬉しかったですね,正直(*^_^*)
で,今回はお祝いのことではなく,“祝ってもらう”日とはまた違う誕生日の持つ意味について,この機会に記してみたいと想います。何せ,1年に一度のことだし,この時期にならないと普段はすーっかり意識の引き出しの隅っこに押し込んでいることなので…

「祝ってもらうこととは違う,誕生日の持つ意味?また,平氏源太は妙なことをゆーのぉ…」と大変怪訝に思われている方もおいでるはず。順を追って記しましょう。まず,その意味というのは私が思いついたとか経験から行き着いたとかいうものではなく,ある方のお話によるものです(^_^;)

いつの頃だったのかは記憶に定かでありませんが,恐らく既に成人して職にも就いてからのことだったはずです。本当に偶然というかたまたま以外の何ものでもないのですが,作家永六輔さんがテレビのトーク番組に出演中(「徹子の部屋」だったかな?),次のような内容のことをおっしゃるのを耳にしたのです。
「私,誕生日というのは,お祝いしてもらう日とは逆に感謝しなくちゃいけない日だと思っています。だって,自分という存在があるのはお母さんから命を授かったからでしょ?命あるものとしてお母さんに生んでもらったのが誕生日なわけで,その日は『お母さん,ありがとう』という気持ちを表す,伝える日だと私は思うんです。」
“誕生日は欲することとは正反対に感謝する日”…まさに目から鱗が落ちる思いでした。

このことがずっと頭から離れなくなったのには,私自身の生い立ちも関係しています。あ,テレビに出てくるような“生みの親から,何らかの事情で育ての親の元へ…”というような類のもんじゃありませんよ。そして,事実と私の推測を織り交ぜた“事情”であることを,先にお断りしておきます。

私には結構年の離れた兄が一人います。が,彼と私の間にはもう一人の兄がいました。いえ,正確には,その兄に“私ではない弟”がいたと言わねばいけません。3人兄弟という形ではなかったのです。私がこの世に生まれる1年以上も前に,兄のすぐ下の“兄弟”は幼稚園に通うこともなく,水の事故でこの世を去ったのですから。
物心が漸く付き始めた頃に,仏壇に供えられた彼の遺影を見て誰なのかと母や祖母に尋ねたことを,今でも覚えています。
「おまえのすぐ上のお兄ちゃんや。」
「ふーん,お兄ちゃんもう一人おったんか…もう会えんのかぁ」
幼かった私のつぶやきを耳にして,母や祖母には彼を失った時の悲しみが甦り,わずかばかりの影をその面差しに落としたようでした。もっとも,ふたりの表情は私の過去へのノスタルジーが作り出した幻影かもしれません。
その当時は思うこともなかったのですが,永氏の言葉を聞いてから次のようなことを私は考えるようになりました。
ラムちゃんがこの文を読んだら,こんな感じ?ひょっとしてすぐ上の兄が健在ならば,私はこの世に生まれなかったのではないかと。
私がこの世に生を受けたのは,母が30半ばの時。小柄でそんなに丈夫な方ではなかった母です。聞いて確かめたことはないのですが,3人も子供を産むのは体が辛かったのではないかと思えるのです。そして,それでも,すぐ上の兄の死による悲しみに沈み切ってしまわずに,もっと前向きにある意味「家族を立て直そう」と頑張った(ま,いろんな意味で… ^^;)のではないかとも。
少しばかり飛躍した言い方をすれば,私は母とすぐ上の兄の二人から命を授かったと考えているわけなのです。勿論,親父の存在は抜きにできませんけれども(笑)。

こうやって考えてみると,母や父をはじめ,私の成長をいろんな意味で支えてくださった人たちに対して,そして私の命に続いている数限りない命に『ありがとうございました』の気持ちは忘れちゃいかんよなぁ…と,改めて思うのです。そして,感謝を表すことを行動で実行できるか否かは別として(できるに越したことはないのですが),少なくとも自分の誕生日あたりはそれをしっかり意識しておかなくちゃということも。

とは言うものの,別段「死んでいった兄の代わりに!」なんて気負いのようなものはさらさら無くて,自分のできることの中で,「自分なりにやるときゃやって,手抜きしてもいいとこはそれなりに…」と普段からもがいているに過ぎず,誉められるようなとこもなく誉めていただこうと力んでいるわけでもありません。

この文章を読んでくださった方の中にも,私なんぞ比べものにならないような,もっとドラマチックな人生を歩んでこられたり,これからも歩んで行かれたりする方が少なからずおいでるはずです。そんな方からすれば,私は巨木の傍で何とか根を張り枝葉を広げている小さな雑木に過ぎません。
まぁ,雑木には雑木なりの歴史の1ページがあったということで…。


しっかし,いつもにない内容を書き連ねてしまいました。戯れ言と読み流してくださいませ。

 

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